本解説では,敬語を,次の5種類に分けて解説します。
尊敬語 | 「いらっしゃる・おっしゃる」型 |
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謙譲語Ⅰ | 「伺う・申し上げる」型 |
謙譲語Ⅱ(丁重語) | 「参る・申す」型 |
丁寧語 | 「です・ます」型 |
美化語 | 「お酒・お料理」型 |
【1】尊敬語(「いらっしゃる・おっしゃる」型)
<該当語例>
[行為等(動詞,及び動作性の名詞)]
いらっしゃる,おっしゃる,なさる,召し上がる,お使いになる,御利用になる,読まれる,始められる,お導き,御出席,(立てるべき人物からの)御説明[ものごと等(名詞)]
お名前,御住所,(立てるべき人物からの)お手紙[状態等(形容詞など)]
お忙しい,御立派
【解説1:行為についての尊敬語】
「先生は来週海外へいらっしゃるんでしたね。」と述べる場合,「先生は来週海外へ行くんでしたね。」と同じ内容ですが,「行く」の代わりに「いらっしゃる」を使うことで,「先生」を立てる述べ方になります。このように,「いらっしゃる」は<行為者>に対する敬語として働きます。この種の敬語は,一般に「尊敬語」と呼ばれています。「先生のお導き」なども,<行為者>を立てる尊敬語です。
(注) 「いらっしゃる」は,「行く」のほかに「来る」「いる」の尊敬語としても使われます。
【解説2:ものごとや状態についての尊敬語】
「お名前」「お忙しい」のように,行為ではなく,ものごとや状態を表す語にも,尊敬語と呼ばれるものがあります。例えば「先生のお名前」は「名前」の<所有者>である「先生」を,また「先生はお忙しいようですね。」は「忙しい」状態にある「先生」を,それぞれ立てることになります。
【解説3:「立てる」ということ】
尊敬語を使う心理的な動機としては,「その人物を心から敬って述べる場合」,「その状況でその人物を尊重する述べ方を選ぶ場合」,「その人物に一定の距離を置いて述べようとする場合」など,様々な場合がありますが,いずれにしても,尊敬語を使う以上,その人物を言葉の上で高く位置付けて述べることになります。以上のような様々な場合を通じて,「言葉の上で高く位置付けて述べる」という共通の特徴をとらえる表現として,ここでは「立てる」を用いることにします。
【解説4:立てられる人物について】
「先生は来週海外へいらっしゃるんでしたね。」(あるいは「先生のお名前」など)と述べる場合には,次のような各場合があります。
①「先生」に対して,直接このように述べる場合②「先生」の家族等に対して,このように述べる場合③その他の人(例えば友人等)に対して,このように述べる場合
尊敬語を使うことによって立てられる人物(上記の例の「先生」)は,①の場合は「話や文章の相手」,②の場合は「相手の側の人物」に当たります(①②の場合をまとめて「相手側」と呼んでおきます)。また③の場合,立てられる人物(=「先生」)は,「第三者」に当たります。以上のように,尊敬語は「相手側又は第三者」の行為・ものごと・状態などについての敬語です。
なお,立てられる人物(上記の例なら「先生」)が状況や文脈から明らかな場合には,それを言葉で表現せずに,ただ「来週海外へいらっしゃるんでしたね。」「お名前」などと述べる場合もあります。
【補足:「くださる」】
「くださる」の場合は,行為者を立てるという一般の尊敬語の働きに加えて,「その行為者から恩恵が与えられる」という意味も併せて表します。例えば,「先生が指導してくださる。」「先生が御指導くださる。」は,それ(=「先生が指導すること」)が有り難いことである,という表現の仕方になります。
【2】謙譲語Ⅰ(「伺う・申し上げる」型)
<該当語例>
伺う,申し上げる,お目に掛かる,差し上げる,お届けする,御案内する
(立てるべき人物への)お手紙,御説明
【解説1:行為についての謙譲語Ⅰ】
「先生のところに伺いたいんですが……。」と述べる場合,「先生のところに行きたいんですが(先生のところを訪ねたいんですが)……。」と同じ内容ですが,「行く(訪ねる)」の代わりに「伺う」を使うことで,「先生」を立てる述べ方になります。このように,「伺う」は <向かう先> に対する敬語として働きます。この種の敬語は,一般に「謙譲語」と呼ばれてきましたが,ここでは「謙譲語Ⅱ」と区別して,特に「謙譲語Ⅰ」と呼ぶことにします。
(注) 「伺う」は,「行く(訪ねる)」のほかに「聞く」「尋ねる」の謙譲語Ⅰとしても使われます。
【解説2:<向かう先>について】
例えば「先生にお届けする」「先生を御案内する」などの「先生」は<向かう先>ですが,このほか「先生の荷物を持つ」「先生のために皿に料理を取る」という意味で「お持ちする」「お取りする」と述べるような場合の「先生」についても,ここでいう<向かう先>です。(例:「あ,先生,そのかばん,私がお持ちします。」「先生,お料理,お取りしましょう。」)
また,「先生からお借りする」の場合は,「先生」は,物の移動の向きについて見れば<向かう先>ではなく,むしろ「出どころ」ですが,「借りる」側からは,「先生」が<向かう先>だと見ることができます。「先生からいただく」「先生に指導していただく」の場合の「先生」も,「物」や「指導する」という行為について見れば,「出どころ」や「行為者」ではありますが,「もらう」「指導を受ける」という側から見れば,その<向かう先>です。その意味で,これらも謙譲語Ⅰであるということになります。
上で述べた<向かう先>とは,このような意味です。
【解説3:名詞の謙譲語Ⅰ】
「先生へのお手紙」「先生への御説明」のように,名詞についても,<向かう先>を立てる謙譲語Ⅰがあります。
(注) ただし,「先生からのお手紙」「先生からの御説明」の場合は,<行為者> を立てる尊敬語です。このように,同じ形で,尊敬語としても謙譲語Ⅰとしても使われるものがあります。
【解説4:「立てる」ということ】
謙譲語Ⅰを使う心理的な動機としては,「<向かう先>の人物を心から敬うとともに自分側をへりくだって述べる場合」,「その状況で<向かう先>の人物を尊重する述べ方を選ぶ場合」,「<向かう先>の人物に一定の距離を置いて述べようとする場合」など,様々な場合があります。いずれにしても,謙譲語Ⅰを使う以上,<向かう先>の人物を言葉の上で高く位置付けて述べることになります。以上のような様々な場合を通じて,「言葉の上で高く位置付けて述べる」という共通の特徴をとらえる表現として,ここでは「立てる」を用いることにします。
これは,先の尊敬語における「立てる」と同じ性質のものです。ただ,尊敬語と謙譲語Ⅰとでは,<行為者>などを立てるのか,<向かう先>を立てるのかという点で,違いがあるわけです。
【解説5:立てられる人物について】
「先生のところに伺いたいんですが……。」(あるいは「先生への御説明」)などと述べる場合には,次のような各場合があります。
①「先生」に対して,直接このように述べる場合②「先生」の家族等に対して,このように述べる場合③その他の人(例えば友人等)に対して,このように述べる場合
謙譲語Ⅰを使うことによって立てられる<向かう先>の人物(上記の例の「先生」)は,①の場合は「話や文章の相手」,②の場合は「相手の側の人物」に当たります(①②の場合をまとめて「相手側」と呼ぶ)。また③の場合,立てられる<向かう先>の人物(=「先生」)は,「第三者」に当たります。以上のように,謙譲語Ⅰは,「相手側又は第三者」を<向かう先>とする行為・ものごとなどについての敬語です。
なお,立てられる人物(上記の例なら「先生」)が状況や文脈から明らかな場合には,それを言葉で表現せずに,ただ「伺いたいんですが……。」「御説明」「お手紙」などと述べる場合もあります。
【解説6:行為者について】
謙譲語Ⅰの行為者については,次の①又は②のような使い方が一般的です。
①「先生のところに伺いたいんですが……。」のように,「自分」の行為について使う。②「息子が先生のところに伺いまして……。」のように,「自分の側の人物」の行為について使う。
このように,謙譲語Ⅰは,一般的には,「自分側」(①②の場合をまとめてこう呼んでおきます。)から「相手側又は第三者」に向かう行為について使います。
ただし,謙譲語Ⅰは,このほか,次のように使う場合もあります。
③「田中君が先生のところに伺ったそうですね。」のように,「第三者」の行為について使う。④「鈴木君は先生のところに伺ったことがありますか。」(「鈴木君」に対して,あるいは「鈴木君」の家族等に対して,こう述べる。)のように,「相手側」の行為について使う。
③④は,「自分側」からの行為ではない点は①②と異なりますが,<向かう先>の「先生」を立てる働きを果たしている点は①②と同様です。また,③④では,行為者の「田中君」「鈴木君」は,<向かう先>の「先生」に比べれば,この文脈では「立てなくても失礼に当たらない人物」ととらえられています(例えば,③④の文を述べている人と「田中君」や「鈴木君」が,共に「先生」の指導を受けた間柄である場合など)。
このように,相手側や第三者の行為であっても,その行為の<向かう先>が「立てるべき人物」であって,かつ行為者が<向かう先>に比べれば「立てなくても失礼に当たらない人物」である,という条件を満たす場合に限っては,謙譲語Ⅰを使うことができます。
【補足:「いただく」】
「いただく」は,上に述べたとおり,謙譲語Ⅰですが,謙譲語Ⅰの基本的な働きに加えて,恩恵を受けるという意味も併せて表します。例えば,「先生に指導していただく。」「先生に御指導いただく。」は,それが有り難いことである,という表現の仕方になります。
【3】謙譲語Ⅱ(丁重語)(「参る・申す」型)
<該当語例>
参る,申す,いたす,おる,拙著,小社
【解説1:謙譲語Ⅱとその典型的な用法】
「明日から海外へ参ります。」と述べる場合,「明日から海外へ行きます。」と同じ内容ですが,「行く」の代わりに「参る」を使うことで,自分の行為を,話や文章の相手に対して改まった述べ方で述べることになり,これが,丁重さをもたらすことになります。このように,「参る」は<相手>に対する敬語として働きます。
この種の敬語は,一般に「謙譲語」と呼ばれてきましたが,ここでは,「謙譲語Ⅰ」と区別して,特に「謙譲語Ⅱ(丁重語)」と呼ぶことにします。
(注) 「参る」は,「行く」のほかに「来る」の謙譲語Ⅱとしても使われます。
【解説2:名詞の謙譲語Ⅱ】
「拙著」「小社」など,名詞についても,自分に関することを控え目に表す語があり,これらは,名詞の謙譲語Ⅱだと位置付けることができます。ただし,主に書き言葉で使われます。
【解説3:「バスが参りました」― 自分側の行為以外にも謙譲語Ⅱを使う場合 ― 】
謙譲語Ⅱのうち,行為を表すもの(動詞)は,次の①又は②のように使うのが典型的な使い方です。
①「私は明日から海外に参ります。」のように,「自分」について使う。②「息子は明日から海外に参ります。」のように,「自分の側の人物」について使う。
このように,謙譲語Ⅱは,基本的には,「自分側」(①②の場合をまとめてこう呼んでおきます。)の行為に使います。
ただし,謙譲語Ⅱは,このほか,次のように使う場合もあります。
③「向こうから子供たちが大勢参りました。」「あ,バスが参りました。」「夜も更けて参りました。」のように,「第三者」や「事物」について使う。
③では,「自分側」の行為ではない点は,①②と異なりますが,「話や文章の相手に対して丁重に述べる」という働きを果たしている点は,①②と同様です。③の初めの例の「子供たち」は,この文脈では「立てなくても失礼に当たらない人物」ととらえられています。このように,立てなくても失礼に当たらない第三者や事物についても,謙譲語Ⅱを使うことができます。
なお,謙譲語Ⅱは,基本的には「自分側」の行為に使うものなので,「相手側」の行為や「立てるべき人物」の行為について,「(あなたは)どちらから参りましたか。」「先生は来週海外へ参ります。」などと使うのは,不適切です。
【補足ア:「謙譲語Ⅰ」と「謙譲語Ⅱ」との違い ―<向かう先> に対する敬語と,<相手>に対する敬語―】
謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱは,類似している点もあるため,どちらも「謙譲語」と呼ばれてきましたが,謙譲語Ⅰは<向かう先>(上述のように,相手側である場合も,第三者である場合もある)に対する敬語,謙譲語Ⅱは<相手>に対する敬語であり,性質が異なります。この点に関係して,次のような違いもあります。
【ア-1:立てるのにふさわしい<向かう先>の有無についての違い】
謙譲語Ⅰの場合,例えば「先生のところに伺います。」とは言えますが,「弟のところに伺います。」は不自然です。これは,初めの例では<向かう先>である「先生」が「立てるのにふさわしい」対象となるのに対し,後の例の「弟」は「立てるのにふさわしい」対象とはならないためです。謙譲語Ⅰは,<向かう先> に対する敬語であるため,このように立てるのにふさわしい<向かう先>がある場合に限って使います。
一方,謙譲語Ⅱの場合は,例えば「先生のところに参ります。」とも言えるし,「弟のところに参ります。」とも言えます。謙譲語Ⅱは,<相手>に対する敬語であるため,このように,立てるのにふさわしい<向かう先>があってもなくても使うことができるのです。
【ア-2:どちらも使える場合の,敬語としての働きの違い】
ふさわしい<向かう先>がある場合は,謙譲語Ⅰを使って「先生のところに伺います。」のように述べることも,謙譲語Ⅱを使って「先生のところに参ります。」のように述べることもできます。
ただし,前者が「先生」に対する敬語であるのに対して,後者は話や文章の<相手>に対する敬語であることに注意したいところです。つまり,「先生」以外の人に対してこれらの文を述べる場合,「先生のところに参ります。」の方は,「先生」ではなく,<相手>に対する敬語として働くことになります。
なお,「先生」に対してこれらの文を述べる場合には,「先生」=<相手>という関係が成立しているので,結果として,どちらの文も同じように働くことになります。このように,行為の<向かう先>と,話や文章の<相手>が一致する場合に限っては謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱはどちらも事実上同じように使うことができます。謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱとが似ているように映るのはこのためですが,<向かう先>と<相手>とが一致しない場合には,謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱの働きの違いに留意して使う必要があります。
【ア-3:「ます」との関係についての違い】
謙譲語Ⅰは,「ます」を伴わずに使うこともできます。例えば,「明日先生のところに伺う(よ)。」などと,「先生」以外の人に述べることがあります。
一方,謙譲語Ⅱは,一般に「ます」を伴って使います。例えば,「明日先生のところに参る(よ)。」などと述べるのは不自然です。
以上,謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱの違いは,要するに,謙譲語Ⅰは<向かう先>(相手側又は第三者)に対する敬語,謙譲語Ⅱは<相手>に対する敬語であるということに基づくものです。
このような違いがあるため,ここでは両者を区別して,一方を「謙譲語Ⅰ」,他方を「謙譲語Ⅱ」と呼ぶことにしたものです。
【補足イ:謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱの両方の性質を併せ持つ敬語】
謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱとは,上述のように異なる種類の敬語ですが,その一方で,両方の性質を併せ持つ敬語として「お(ご)……いたす」があります。
「駅で先生をお待ちいたします。」と述べる場合,「駅で先生を待ちます。」と同じ内容ですが,「待つ」の代わりに「お待ちいたす」が使われています。これは,「お待ちする」の「する」を更に「いたす」に代えたものであり,「お待ちする」(謙譲語Ⅰ)と「いたす」(謙譲語Ⅱ)の両方が使われていることになります。この場合,「お待ちする」の働きにより,「待つ」の<向かう先>である「先生」を立てるとともに,「いたす」の働きにより,話や文章の<相手>(「先生」である場合も,他の人物である場合もあります。)に対して丁重に述べることにもなります。
つまり,「お(ご)……いたす」は,「自分側から相手側又は第三者に向かう行為について,その向かう先の人物を立てるとともに,話や文章の相手に対して丁重に述べる」という働きを持つ,「謙譲語Ⅰ」兼「謙譲語Ⅱ」です。
【4】丁寧語(「です・ます」型)
<該当語例>
です,ます
【解説】
「次は来月十日です。」は「次は来月十日だ。」と,また「6時に起きます。」は「6時に起きる。」と,それぞれ同じ内容ですが,「です」「ます」を文末に付け加えることで,話や文章の相手に対して丁寧さを添えて述べることになります。このように,「です」「ます」は<相手>に対する敬語として働きます。この種の敬語は,一般に「丁寧語」と呼ばれています。
なお,これらと同じタイプで,更に丁寧さの度合いが高い敬語として「(で)ございます」があります。
【補足:謙譲語Ⅱと丁寧語】
「謙譲語Ⅱ」も話や文章の相手に対する敬語として働くので,この意味では,「丁寧語」と近い面を持ちます。違いは,謙譲語Ⅱは基本的には「自分側」のことを述べる場合に使い,特に「相手側」や「立てるべき人物」の行為については使えないのに対し(【3】参照。),丁寧語は「自分側」のことに限らず,広く様々な内容を述べるのに使えることです。また謙譲語Ⅱは,丁寧語「です」「ます」よりも改まった丁重な表現です(丁寧語のうち「(で)ございます」は,謙譲語Ⅱと同程度に丁重な表現です)。
【5】美化語(「お酒・お料理」型)
<該当語例>
お酒,お料理
【解説】
例えば,「お酒は百薬の長なんだよ。」などと述べる場合の「お酒」は,尊敬語である「お導き」「お名前」等とは違って,<行為者>や<所有者>を立てるものではありません。また,謙譲語Ⅰである「(立てるべき人物への)お手紙」等とも違って,<向かう先>を立てるものでもありません。さらに,謙譲語Ⅱや丁寧語とも違って,<相手>に丁重に,あるいは丁寧に述べているということでもありません。
すなわち,上記の例文に用いられているような「お酒」は,「酒」という言い方と比較して,「ものごとを,美化して述べている」のだと見られます。
この「お酒」のような言い方は,この意味で,【1】~【4】で述べた狭い意味での敬語とは,性質の異なるものです。だが,<行為者><向かう先><相手>などに配慮して述べるときには,このような言い方が現れやすくなります。例えば,「先生は酒を召し上がりますか。」や「先生、酒をお注(つ)ぎしましょう。」の代わりに,「先生はお酒を召し上がりますか。」や「先生,お酒をお注ぎしましょう。」と述べる方がふさわしいでしょう。こうした点から,広い意味では,敬語と位置付けることができるものです。この種の語は,一般に「美化語」と呼ばれています。
【6】手紙のあて名書きで気になる点があります。学校の教師に出す手紙のあて名は「○○様」で良いのでしょうか。また,「○○中学校 山田一郎先生御中」と書きましたが,これで良いのでしょうか。
【解説】
「○○先生」ではなく,「○○様」と書くこと自体は誤りではありませんが,自分が生徒や学生,あるいは生徒や学生の親などの立場から書く場合には,「○○先生」の方が適切だと言えます。「○○中学校 山田一郎先生御中」といった書き方は,不適切です。「○○中学校 山田一郎先生」とすれば良いでしょう。「御中」というのは,具体的な人ではなく,その組織や機関の中にいる関係者へあてる,という意味を表す「脇付け(わきづけ)」です。「山田一郎」という氏名が明らかなのであれば,その点と矛盾するので,不適切な表現になります。